皆さん、こんにちは。大田区議会議員の佐藤なおみです。
私たち小池自治会の地域に住む者にとって、古くからなじみ深い祈りの場、「小池稲荷神社」。子どもの頃、境内で遊んだ思い出がある方も多いのではないでしょうか。日々の暮らしの中に溶り込み、私たちを静かに見守ってくれる、まさに地域の「お稲荷さん」です。
さて、この私たちの大切なお稲荷さんに、「親」のような存在の神社がすぐ近くにあることを、皆さんはご存知でしたか?
今日は、そんな小池稲荷神社のルーツであり、「本社(ほんしゃ)」や「親社(おやしろ)」とも言える、仲池上の「子安八幡神社」との深いつながりと、その歴史を辿ってみたいと思います。
「分霊」という、神様のつながり
まず、二つの神社の関係を説明する上で大切なのが、「分霊(ぶんれい)」という考え方です。これは、本社の神様の御霊(みたま)を分けていただき、別の場所にお祀りすること。いわば、神様の「暖簾分け」のようなものです。
私たちの小池稲荷神社は、子安八幡神社の境内にお祀りされていた稲荷大神の御霊を分けていただき、この小池の地にお祀りした「分社(ぶんしゃ)」にあたります。ですから、子安八幡神社は、私たちの地域の守り神の「実家」のような、とても縁の深い場所なのです。
千年の歴史を持つ、地域の「親社」- 子安八幡神社
では、その「親」である子安八幡神社は、どのような歴史を持つ神社なのでしょうか。
その創建は、今から750年以上も昔の鎌倉時代、康元元年(1256年)。この地を治めていた領主、池上宗仲(いけがみむねなか)が、鎌倉の鶴岡八幡宮の神様をお迎えしてお祀りしたのが始まりとされています。
そして、社名に「子安」とつく感動的な由来が、その2年後に起こります。
当時、天災や疫病が流行する中、池上宗仲の奥様が妊娠中に病にかかってしまいました。宗仲がこの八幡様のもとで、妻の病が治り、無事に子が生まれるよう必死に祈願したところ、奥様は男の子を安産したと伝えられています。
この奇跡から、人々はこの神社を「子安八幡宮」と呼ぶようになり、以来、安産と子育ての神様として、地域の人々の深い信仰を集めてきたのです。
また、日蓮聖人が入滅された池上本門寺とも関わりが深く、その鎮守様としても大切にされてきました。
ルーツを知ることで、深まる郷土愛
私たちの小池稲荷神社にお参りする時。その向こうに、この地域を治めた領主の家族を想う祈りから始まった、子安八幡神社の温かい歴史がある。
そう思うと、いつものお参りが、少し違って見えてきませんか?
私たちの小さな祠(ほこら)が、地域の大きな歴史の一部として、しっかりと根を張っている。その事実は、この小池の地に住む私たちにとって、ささやかな誇りになるように感じます。
厳しい残暑が少し和らいだら、私たちの「お稲荷さん」のルーツである、子安八幡神社の清々しい杜まで、少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
二つの神社のつながりに思いを馳せれば、きっと、私たちの郷土への愛が、より一層深まるはずです。
大田区議会議員 佐藤 なおみ
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