皆様、こんにちは。大田区議会議員の佐藤なおみです。
いつもご支援や活動へのご協力に感謝しております。
「おめでとう」の影で一人きりの不安
赤ちゃんが生まれた。
その喜びは、何物にも代えがたいものです。SNSには愛らしい寝顔と「おめでとう」のコメントが溢れます。
しかし、その光の裏側で、多くの母親(そして父親)が、これまで経験したことのないほどの不安と孤独に直面している現実があります。
なぜ泣き止まないんだろう
夜、眠れない。私だけがこんなに辛いんだろうか
夫は仕事。日中、この小さな命と向き合っているのは私一人だけ
核家族化が進み、かつてのように近所の人や親戚が自然と手を差し伸べてくれた「地域の力」が弱まった現代。子育てはしばしば「密室化」し、その負担は母親一人に重くのしかかります。
そんな中、東京都大田区は「すこやか赤ちゃん訪問」という事業で、生後120日以内の赤ちゃんのいる「すべて」の家庭に、専門職である保健師や助産師を派遣しています。
なぜ「生後120日」という期間なのか?
この取り組みは、単なる「子育てサービス」の一つではありません。それは、「あなたの家庭を絶対に孤立させない」という、行政からの強い意志表示であり、現代社会における最も重要なセーフティネットの一つなのです。
この記事では、大田区の「すこやか赤ちゃん訪問」が導入された背景、その具体的な内容、そしてこの素晴らしい制度が抱える現実的な課題について、約5000文字で徹底的に掘り下げていきます。
第1章:全戸訪問が「当たり前」ではなかった時代
今でこそ、多くの自治体で実施されている赤ちゃんの全戸訪問ですが、これが「当たり前」になったのは実はそれほど昔のことではありません。
従来の「新生児訪問指導」
かつての「新生児訪問」は、多くの場合、下記のような家庭が主な対象でした。
* 第1子で、育児に不安を抱えている家庭
* 保護者からの「希望」があった場合
つまり、何らかの「分かりやすいリスク」や「顕在化したニーズ」がなければ、行政が家庭の状況を知る機会は乳幼児健診まで待たなければなりませんでした。
社会の変化が「密室」を生んだともいえます。
しかし、時代は大きく変わりました。
1.核家族化と都市化
祖父母との同居は減り、地方から出てきた夫婦が、頼る人のいない都会で子育てを始めるケースが激増しました。大田区のような都市部では特にその傾向が顕著です。
2.地域のつながりの希薄化
「隣に誰が住んでいるか分からない」という状況が当たり前になり、「ちょっと赤ちゃんの様子を見てあげる」といった近所付き合いは期待できなくなりました。
3.「産後うつ」と「児童虐待」の深刻化
子育ての不安や重圧が母親一人に集中した結果、産後うつを発症するケースが増加。そして、最も悲しいことですが、支援からこぼれ落ちた家庭で児童虐待が発生するリスクも社会問題として大きくクローズアップされました。
児童虐待の相談対応件数は高止まりを続け、「どうすればもっと早くその家庭に気づき、介入できたのか」という問いが社会全体に突きつけられたのです。
国の動き:「こんにちは赤ちゃん事業」
こうした背景を受け、国は動きました。2007年(平成19年)に児童福祉法が改正され、「乳児家庭全戸訪問事業(通称:こんにちは赤ちゃん事業)」が法制化されたのです。この事業の最大の目的は、従来の「支援が必要そうな家庭」を選ぶのではなく「すべての家庭」とまず一度つながること。
支援が必要かどうかは、外から見ただけでは分かりません。裕福そうに見えても、夫婦仲が良さそうに見えても育児の悩みに押しつぶされそうになっている家庭はいくらでもあります。「おめでとうございます」という祝福のメッセージとともに、すべての家庭のドアをノックし、行政と「顔の見える関係」を築く。そして、もしその家庭が何かに困っているサインを出したとき、すぐさま適切な支援(産後ケア、相談窓口、経済的支援など)につなげる。
大田区の「すこやか赤ちゃん訪問」は、まさにこの国の大きな方針転換を具体化しさらに強化したものなのです。
第2章:大田区「すこやか赤ちゃん訪問」の具体的な中身
では、大田区の「すこやか赤ちゃん訪問」とは、具体的にどのようなサービスなのでしょうか。その目的は、区の資料にもある通り「子育て世帯の孤立・孤独防止の支援強化」であり、「安心して子育てができる環境整備」です。
1. すべての家庭と「つながる」ための仕組み
この訪問は、私たちが自ら「助けてください」と手を挙げなくても、自動的に支援のレールに乗る仕組みになっています。
きっかけは「出生通知書(はがき)」
母子手帳とともにもらう「母と子の保健バッグ」の中に、「出生通知書(すこやか赤ちゃん訪問依頼書)」というはがきが入っています。これに必要事項を記入し、出産後(できれば14日以内)に郵送する。これが、行政への「赤ちゃんが生まれました」という最初の連絡になります。
「依頼書」という名の「招待状」
これは「訪問を依頼します」という形式をとっていますが、実質的には「すべての家庭に提出してもらう」ことを前提としています。このはがきが、専門職があなたの家を訪れるための「招待状」となるのです。
2. 誰が来るのか? ——「専門職」が訪問する意味
大田区の「すこやか赤ちゃん訪問」で家に来てくれるのは「保健師」または「助産師」の方々です。
これは非常に重要なポイントで、自治体によっては、この全戸訪問を地域のボランティアや「訪問員」として研修を受けた方が担う場合もあります。それも地域で見守るという点では素晴らしいことですが、大田区は「専門職」が担っています。
* 助産師: 出産と産後のケア、そして新生児ケアのプロフェッショナル。
出産という大きな仕事を終えたばかりの母親の体調(悪露、乳房トラブル、気分の落ち込み)と、生まれたばかりの赤ちゃんの健康(体重の増え、おへその状態、黄疸など)の両方を、医学的・専門的な視点でチェックできるプロが来てくれる。これほど心強いことはありません。
3. いつ来るのか? ——「生後120日以内」の絶妙な期間設定
対象は「生後120日以内」の赤ちゃんとその家庭となりますが、なぜこの期間なのでしょうか。
産後うつのピークをカバー
産後うつは、出産直後よりも、産後2週間から3か月頃に発症のピークを迎えると言われています。まさにこの「生後120日(約4か月)」は、母親のメンタルが最も不安定になりやすい時期と重なります。
健診の「空白期間」を埋める
通常、赤ちゃんの健診は、出産した病院での「1か月健診」の後、次に行政が関わるのは「3~4か月健診」です。この間、約2~3か月の「空白期間」が生まれます。
予防接種はどう始めたらいい?
この空白期間を、訪問事業がしっかりと埋める役割を果たしています。
里帰り出産にも対応
産後1か月は実家で過ごし、大田区の自宅に戻ってくる家庭も多いでしょう。生後120日(4か月)までという余裕を持たせることで、里帰りから戻った後の落ち着いたタイミングで、じっくりと訪問を受けることが可能になります。
4. 訪問で何をするのか?(約1時間)
では、実際に専門職の方が訪問に来て、何をするのでしょうか。決して「家庭をチェックしに来る」わけではありません。主な目的は「対話し、確認し、情報をつなぐ」ことです。大田区の実施要綱などから、具体的な内容を見てみましょう。
1.赤ちゃんの健康チェック(約15分)
*体重測定
持参したスケール(体重計)で、赤ちゃんの体重を正確に測ります。「この飲み方で足りているか」という不安に対し、「しっかり増えていますね」という数値での確認は、何よりの安心材料になります。
*発育・発達の確認
肌の状態、おへその乾き、全体的な様子を見て、順調に育っているかを確認します。
2.ママの健康チェックと「傾聴」(約30分)
*産後の体調確認
「体調はいかがですか?」「眠れていますか?」といった質問で、母親の心身の状態を確認します。
*育児の不安相談(傾聴)
これが訪問の「核」です。
「授乳がうまくいかない」
「おむつ替えで泣かれて辛い」
「上の子への対応に悩んでいる」
どんな些細なことでも構いません。プロに対して、溜まっていた不安や愚痴を「ただ聞いてもらう」だけでも、心は驚くほど軽くなります。保健師・助産師は、その場で具体的なアドバイスもしてくれます。
3.情報提供と「つなぎ」(約15分)
*予防接種のスケジューリング
生後2か月から始まる怒涛の予防接種ラッシュ。その複雑なスケジュールについて説明を受けられます。
*地域の情報提供
「近くに同じ月齢の赤ちゃんが集まれる『子育てひろば』がありますよ」「一時保育はこんなサービスが使えますよ」など、その家庭に合った地域のリソース(産後ケア、ファミリー・サポートなど)を紹介してくれます。
*要支援家庭の連携
もし訪問で「この家庭は継続的なサポートが必要かもしれない」と専門職が判断した場合、本人の同意のもと、子ども家庭支援センターなど、次の支援機関へと情報が「つながれ」ます。
「すこやか赤ちゃん訪問」は、この「つなぎ」機能こそが命綱です。訪問1回で終わりではなく、ここを「支援の入り口」として、家庭が孤立しないためのネットワークへと編み込んでいくのです。
第3章:全戸訪問の「理想」と「現実」~浮き彫りになる課題
このように、理念も内容も非常に優れた「すこやか赤ちゃん訪問」ですが、これを「全戸」に「専門職」が実施し続けることは、容易ではありません。この理想的な制度を維持・発展させるためには、いくつかの現実的な課題が存在します。
課題1:現場の「マンパワー」の壁
最大の課題は、訪問する側のリソース、すなわち「人手」です。
大田区では年間約6,000人(令和4年度)の赤ちゃんが誕生しています。そのすべての家庭を、高度な専門職である保健師・助産師が、生後120日以内に訪問しきるというのは多大な業務量となるかもしれません。
* 専門職の負担増
保健師や助産師は、この訪問事業だけが仕事ではありません。妊婦の面談、乳幼児健診、難病患者の支援、精神保健業務など、地域の健康を支える多岐にわたる業務を抱えています。全戸訪問という「量的」な負担が、現場の専門職を疲弊させてしまうリスクは常につきまといます。
* 訪問の「質」の担保
忙しさのあまり、訪問が「体重を測ってパンフレットを渡すだけ」の事務的な作業になってしまっては、本来の「孤立防止」という目的は達成できません。一件一件の家庭と丁寧に向き合い、信頼関係を築く「質」をどう担保していくかは、大きな課題です。
課題2:訪問を「拒否」する家庭へのアプローチ
この制度は、皮肉なことに「最も支援が必要な家庭」ほど、訪問を拒否したり、不在を装ったりする傾向があるというジレンマを抱えています。
* 「うちは大丈夫ですから」と笑顔で訪問を断った家庭が、実は深刻な産後うつに陥っていた、というケースも考えられます。
全戸訪問は「つながる」ための仕組みですが、相手がその「つながり」を拒否した場合、どうやってアウトリーチ(手を差し伸べる)していくのか。これは全国の自治体が抱える共通の、そして最も難しい課題です。
課題3:「1回」の訪問で何がわかるのか
訪問は原則1回で、その約1時間の中で家庭の本当の姿やすべての悩みを見極めるのは「神業」に近いと言えるかもしれません。
* 多くの家庭は、訪問者が来ると分かっていれば、部屋を片付け、笑顔で対応しようとします。その「よそゆき」の姿の裏に隠されたSOSを、短時間でどこまで察知できるか。これは訪問する専門職のスキルと経験に大きく依存します。
* 訪問したその日は大丈夫でも、その1週間後に母親のメンタルが急激に落ち込むこともあります。「1回の訪問」で安心するのではなく、その後も継続的に見守る仕組み(例えば、健診でのフォローアップ)と、どう連携していくかが問われます。
課題4:里帰り出産と「空白地帯」
長期の里帰り出産も課題の一つです。例えば、大田区に住民票を置いたまま、遠方の実家に半年近く里帰りするケース。その場合、生後120日以内という大田区の訪問対象期間から外れてしまいます。
もちろん、里帰り先の自治体で新生児訪問を受けられる制度はありますが、手続きが煩雑だったり、情報がうまく連携されなかったりすることで、結果的に大田区にも里帰り先にも訪問してもらえず、支援の「空白地帯」に置かれてしまう親子が生まれる可能性があります。
「すこやか赤ちゃん訪問」は社会で子育てをするための「最初の約束」
大田区の「すこやか赤ちゃん訪問」を深掘りして見えてきたのは、これが単なる「手厚いサービス」ではなく「社会で子育てをする」という覚悟に基づいた、極めて重要なインフラ事業であるという事実です。
かつての子育てが「家族」や「地域」という私的な領域で完結していた時代は終わりました。今は、「行政」が公的にすべての家庭とつながり、孤立を防ぐことが子どもの健やかな成長と母親(保護者)の命を守るために不可欠です。
この訪問は「監視」ではなく、あなたの家庭が社会から切り離されていないこと、困ったときには手を差し伸べる準備が地域にあることを確認するための、行政からの「最初の挨拶」であり「最初の約束」です。
もしあなたの家に保健師や助産師が訪ねてきたらぜひドアを開けてください。
部屋が散らかっていてもパジャマのままでも構いません。
「うまくやれているか」を採点しに来る人ではありません。
もし子育てや育児に不安を抱えていたり孤独を感じていたら、あなたの不安を、あなたの疲れを、ただただ聞いてもらい共有してください。
「辛い」と一言、口に出すだけでもいいのです。
「すこやか赤ちゃん訪問」は、大田区という地域全体であなたの子育てを応援するという、温かく、そして力強いメッセージなのです。私たちは、この制度の意義を正しく理解し、現場の専門職の方々へのリスペクトを忘れず、社会全体でこの貴重な「つながり」を守り育てていく必要があります。
大田区議会議員 佐藤 なおみ
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