こんにちは。大田区議会議員の佐藤なおみです。
先日、夫と珍しく真面目な話をしました。それは、自分たちの「最期」についてです。普段は冗談ばかり言う夫が真剣な顔でこう切り出したのです。
「もしもの時が来たら、お墓は建てなくていい。自然の中がいいから、樹木葬にしてほしいんだ」
驚きましたが、私自身も子どもたちに墓守の負担をかけさせたくないという想いはありましたので、「そうね、そういう考え方もあるわね」と、夫婦で葬儀やお墓について、あれこれと話し合いました。それは、私たち自身の人生の終わり方を見つめると同時に、子どもたちの未来を考える、とても大切な時間でした。
しかし、その会話の中で、私の胸には議員としてのある懸念が、重くのしかかってきました。それは、お墓の形式を選ぶ以前の、もっと手前の段階にある深刻な問題──「そもそも、私たちはスムーズに火葬してもらえるのだろうか?」という、根本的な問いです。
この問題は、決して大袈裟な話ではありません。今、大田区を含む東京全体で、私たちの人生の終焉に静かに、しかし確実に忍び寄る危機、「火葬場問題」が進行しています。
この記事では、我が家のささやかな会話をきっかけに、多くの区民の皆様が不安に感じているこの問題について、その背景から未来の展望まで、皆様と共有し、考えていきたいと思います。
(第一章) そもそも、東京の火葬場は足りないのか?
結論から申し上げます。答えは「はい、すでに不足し始めており、今後さらに深刻化します」です。
現在、日本では亡くなった方の99.9%以上が火葬されます。しかし、その受け皿である火葬場の数は、何十年も前からほとんど増えていません。一方で、日本は「多死社会」を迎え、亡くなる方の数は急増しています。特に、戦後のベビーブームに生まれた「団塊の世代」の方々が後期高齢者となり、今まさに死亡者数がピークを迎えようとしているのです。
その結果、何が起きているか。それが「火葬待ち」です。
亡くなってから火葬するまで、1週間から10日以上も待たなければならないケースが、首都圏では常態化しつつあります。ご遺族は、大切な人を亡くした悲しみの中で、葬儀の日程も決められず、ご遺体を安置する場所と費用(ドライアイス代など)の心配をしなければならない。これは、故人を尊厳をもって送りたいという、ご遺族の想いを踏みにじる、あまりにも悲しい現実です。
「火葬難民」という言葉まで生まれています。これは、近隣の火葬場がすべて予約で埋まっているため、ご遺体を遠く離れた県外の火葬場まで運ばなければならない状況を指します。住み慣れた地域で最期を迎え、地域の人々に見送られるという、当たり前だったはずのことが、もはや当たり前ではなくなっているのです。
(第二章) 大田区の現状と、知られざる問題
では、私たちの大田区の状況はどうでしょうか。ここで、区民の皆様に知っていただきたい重要な事実があります。それは、人口約74万人を抱える大田区には、区が運営する公営の火葬場が一つもない、ということです。
区民の多くが利用しているのは、区内にある民営の「臨海斎場」(※ただしこれは大田区など5区で共同運営する公設民営の施設)か、近隣区にある民営の斎場(品川区の桐ヶ谷斎場など)です。
ここに、東京の火葬場問題の根幹にある、もう一つの深刻な問題が潜んでいます。それは、都区部にある民営火葬場のほとんどが、たった一つの企業グループによって運営されているという「寡占状態」です。
数年前、都内の民営火葬場の多くを所有していた「東京博善」という会社が、海外の投資ファンドに買収されました。これにより、私たちの「弔い」という、極めて公共性の高い営みが、市場原理や利益追求の論理に大きく左右されかねない状況が生まれたのです。競争相手がいないため、火葬料金が高止まりしたり、将来的に値上げされたりする懸念は、決して杞憂ではありません。
公営火葬場を持たない大田区は、この民間のサービスに頼らざるを得ず、区民の最後のセーフティネットが、非常に不安定な土台の上にあると言えるのです。
(第三章) 区民生活に広がる影響と、家庭内の議論
火葬場の不足と寡占化は、私たちの生活に具体的にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
1. 経済的な負担の増大
前述の通り、「火葬待ち」が長引けば、ご遺体の安置費用がかさみます。また、寡占状態にある火葬料金は、地方の公営火葬場に比べて非常に高額です。心身ともに疲弊しているご遺族に、さらなる経済的負担が重くのしかかります。
2. 精神的な負担の増大
葬儀の日程がなかなか決まらないことは、「故人をきちんと送ってあげられていない」という罪悪感や焦りを生み、ご遺族のグリーフケア(悲嘆からの回復プロセス)を妨げます。故人とゆっくりお別れする時間さえ、奪われてしまうのです。
3. 「大田区民として」のお見送りができない
生まれ育った大田区で最期を迎えたいと願っても、火葬場が空いていないために、縁もゆかりもない遠方の地でお骨にしなければならない。これは、本人にとっても、見送る家族にとっても、寂しいことではないでしょうか。
我が家で夫と話した時も、こうした現実が頭をよぎりました。「私たちがもしもの時、子どもたちはスムーズに葬儀を出せるだろうか。費用は、一体いくらかかるのだろうか」。自分たちの希望(樹木葬)を語りながらも、その前の段階にある大きなハードルに、漠然とした不安を感じずにはいられませんでした。
(第四章) 変わりゆく死生観と、未来のお墓のかたち
夫が「樹木葬がいい」と言ったように、私たちの死生観やお墓に対する考え方は、大きく変化しています。
かつては先祖代々の「家」のお墓に入ることが当たり前でした。しかし、少子化や核家族化が進み、「お墓を継ぐ人がいない」「子どもに墓守の負担をかけたくない」と考える人が急増しています。実際に、お墓を撤去・整理する「墓じまい」も年々増加しています。
その代わりに、夫が希望する「樹木葬」や、海や山に遺灰を還す「散骨」、天候に関わらずお参りできる「納骨堂」など、新しい弔いの形が広がっています。これは、伝統を軽んじているのではなく、現代のライフスタイルや価値観に合わせて、弔いの形が多様化している、自然な変化なのだと私は思います。
問題は、こうした新しい選択肢を望んでも、その大前提である「火葬」が滞ってしまえば、何も始まらないということです。個人の尊厳ある最期を支える社会であるためには、入り口である火葬から、出口である多様な埋葬方法まで、切れ目のない選択肢を保障する必要があります。
(第五章) 未来への課題と、議員としての私の役割
この深刻な「火葬場問題」に対し、私たちは、そして私は議員として、何をすべきなのでしょうか。
1. 現状の可視化と情報提供
まずは、多くの区民の皆様に、この問題の現状を知っていただくことが第一歩です。そして、いざという時に困らないよう、区内の葬儀社や火葬場の情報、そして樹木葬や散骨といった多様な選択肢について、区が中立的な立場で情報提供を行う「終活サポート」の仕組みを整えるべきだと考えています。
2. 広域連携による公営施設の検討
大田区単独で、今から新しい火葬場を建設することは、用地確保や周辺住民の理解など、極めて高いハードルがあります。しかし、近隣の自治体と連携し、共同で公営の火葬施設を整備・運営するという「広域連携」の可能性は、長期的な視点で模索し続けるべきです。私たちの「弔いの権利」を、一企業の判断に委ね続けるわけにはいきません。
3. 東京都への働きかけ強化
火葬場の寡占化は、大田区一区だけの問題ではなく、東京全体の問題です。私は、大田区議会の中から、東京都に対して、この寡占状態の弊害を訴え、公的な関与を強めるよう、粘り強く声を上げ続けていきます。
(まとめ) すべての人が、尊厳ある最期を迎えるために
我が家のリビングでの、夫との何気ない会話。それは、私たち夫婦の未来図であると同時に、大田区に住むすべての人の未来に繋がる、重要な問いかけでした。
人生の最期は、誰にでも平等に訪れます。その時に、愛する家族に看取られ、住み慣れた地域で、望む形で、安らかに旅立つ。そんな当たり前の尊厳が、脅かされることのない社会。そして、残された家族が、過度な負担なく、心から故人を見送ることができる社会。
私が目指すのは、そんな大田区です。夫が望む樹木葬のように、私たちの営みが、次の世代の健やかな未来へと繋がっていく。その最期のバトンタッチを、行政が、政治が、全力で支える。
その実現のために、私はこれからもこの重くしかし避けては通れない問題に真摯に向き合っていきたいと思います。
大田区議会議員 佐藤 なおみ
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